医学まめ知識

もどる 

病は気から (その2 心身医学とは)


我が国の心身医学
昭和36年に九州大学医学部に精神身体医学(心身医学)の研究所が創立され、38年には心療内科(精神身体医学の臨床講座)へと発展、わが国ではじめての試みとして、医科大学におけるチームワークによる研究や教育が開始されました。当時の九大教授、池見酉次郎先生はその著書「心療内科」の中で、「心身医学は「病は気から」というような諺を文字どおりに受けとろうとする医学でもなければ、心だけが原因で病気がおこるとする医学でもない。心身医学は、なんらかの体の異常や症状を訴える患者について、その原因を心身両方面から、さらには気候、風土などの条件も考えに入れて総合的に診断し、またその治療にあたっては身体的な面に重点をおくべきか、心理的な面に力を入れるべきか、あるいはその両方にたいする処置を行うべきかなどをよく判断して、それぞれの症例に応じた適切な治療を行うことを目的としている。さらに、現代医学が身体の面だけに偏っていることを矯正しようとして、今度はかえって行きすぎた精神主義に陥ることのないよう、よほど慎重でなければならない。心身医学は、身体医学の今日までの輝かしい成果を否定して、精神主義を築こう というものでは決してない」と述べています。

現代の名医
ある名医は、「世の中に病気などというものはない、病める人間があるだけだ」といっていますが、昔から名医といわれるほどの人たちは、知らず知らずの間に心身両面からの診断や治療の仕方を会得して実行していたものと思われます。
近代医学は、人間の体を、眼、耳。心臓、胃、肝臓、腎臓など多くの部分にわけて研究する道を歩んできており、そのことによって、それぞれ専門の分野では目ざましい発達をとげたといえでしょう。しかしそのために、一面では、生物学者のジェニングスが言っているように、「化学の犯すもっとも一般的な誤りは、単一の原因のみを追求することである」ということにもなってきた面がみられるようになりました。
つまり、医者はそれぞれ専門の立場から病気の原因を見つけることに努め、たまたま自分の得意の分野でなにか一つでも原因らしきものを見つけると、それだけで「病める人間」の全体を説明しようとする傾向が強くなってきたのです。たとえば、憂鬱、不眠、肩こり、便秘、眼が疲れやすい、頭が重い、体がだるいなどの症状を訴える患者さんが、たまたま眼科で受診すると、「眼精疲労のためである」というので眼鏡の度を合わせてもらうし、同じ患者さんが内科に行くと「便秘のせいである」というので下剤をかけられたりするというようなことです。勿論そういうこともあるということであって特定の先生や病院のことを言っているわけではありませんので誤解しないで下さい。
つい先頃までは、「ノイローゼは眼鏡の度を合わせれば治る」という説や、「ノイローゼの原因は慢性便秘(宿便)による中毒である」というような説が行われていたものですが今日では、このような説は原因と結果を転倒した考えであり、ノイローゼや心身症の結果として、二次的に眼が疲れやすかったり、便秘したりすることが分かってきています。したがってもとのノイローゼや心身症の方を治せばこれらの症状は消えるものであり、もとの方はそのままにして、表面に現れた個々の症状だけをいじっていても、問題は解決しないと考えられるようになってきています。

医学まめ知識から 岩本憲夫