医学まめ知識

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 病は気から (その3 トムの実験)


感情(心)に伴って体の症状が起こり、感情は本当に病に影響することを実験的に裏づけた証拠を紹介したいと思います。

[トムの実験]

昭和18年ころ、トムという胃瘻(いろう、と読みます)をもった被験者について、ニューヨークのコーネル大学のウォルフらによって15年間もの長きにわたって行われた「感情と胃の機能」についての研究で世界的に有名な「トムの実験」を紹介してみましょう。

トムは9歳の時に、煮えたぎった蛤の鍋料理をうっかりまちがえてグッと呑み込み、そのために食道が焼け爛れてふさがってしまい、口からは物を食べられなくなってしまいました。そこでコーネル大学の外科で、腹に穴をあけ、穴の下にある胃の部分を腹の皮にぬいつけ、胃にも穴をあけ(これを胃瘻といいます)、その穴に管を差し込んで食物を外から直接胃に流し込めるようにする手術をうけました。この最中にトムの容態が悪くなり、胃瘻の周囲をふさぐことができないままで手術を終えなければならなくなり、そのため、お腹に特大の穴が残って胃の内側をおおう粘膜が腹壁の外にかなりせり出した状態で胃瘻がつくられてしまいました。しかしこのことが、後の実験にとっては非常に好都合になりました。つまりいつでも外部から普通に暮らしている人間の胃の状態を詳しく観察できるようになったのです。

その後、トムは胃瘻を持ったままで元気に成人し、彼が中年になった時、ウォルフたちの特別な実験のために、その研究室の要務員として雇われることになります。それというのも、先に述べたように彼の胃には大きな穴があいており、特に腹に力を入れると胃の粘膜がグッと外にせり出してきてよく見えるので、感情による胃の変化を直接眼で見ることができたからです。

ウォルフらは、実に15年の長きにわたって、日常生活の中でトムが実際に経験するさまざまな感情の状態で胃にどのような変化が起こるかを、胃の運動、胃液の分泌、胃粘膜を流れる血液の量などについてこまかに調べていきました。その結果、彼がひどく腹を立てたり、昂奮したり、不安で緊張したりした時には粘膜が充血し、胃の運動も胃酸の分泌も高まり、さらにそのような状態が長く続くと粘膜にただれまでも起こすこと、これとは反対に、憂鬱だったり、失望落胆したりしているような時には胃の血流は減り、胃の運動も胃液の分泌も少なくなってくることなどが分かりました。

たとえば彼が研究室に勤めている間に、なにかの間違いでまったく予告なしに解雇されようとした事件がありました。いきなり会計係がやってきて、最後のサラリーの小切手を渡し「お前はもうクビだ」と言いわたしたのです。実験者がトムにこの事件について話しかけると、彼は当時のことを思い出してかんかんに腹を立てて怒りをぶちまけます。この時、胃の粘膜は真赤にはれ上がり、すごく活発に動き始め、胃液の量もグッと増えてくるのが観察されました。
また、トム夫婦と同居していた孫たちが大きくなるにつれて、その素行上のことでいろいろと困った問題が起こっていましたが、そのことでは妻とも意見がまるで食い違っていたため、トムは長いこと不安でいらいらしていました。そうした状態にあった時、胃の粘膜も赤く昂奮した状態が続き、ついにはただれや出血さえ生じてきました。そうして注目すべきことには、このように赤く腫れ上がった胃の粘膜は、外からのちょっとした刺激でも、すぐ出血したり、糜爛を生じたりしやすくなったということです。これらの事実は、感情が胃潰瘍などの発生にも強く関係しうることの一つの裏づけとされています。

そのほか、この実験には次のような面白いことがありました。トムはかねて食物を一度口に入れてよく噛み、味わってから胃に通じる管の先につけた漏斗に吐き出して食事をしていました。ところが、食物を彼の口に入れて味わわせることなく、いきなり管の中に流し込むようにしたところ、体重が次第に減ってきたというのです。このことは、物を食べるということは、機関車の釜の中に石炭をつめ込むのとは違って、味わうことの楽しみ、食べることの喜びなど、心理的なことが食物の消化や吸収につよく関係することを物語っています。これは皆さんの日常においても経験されることではないでしょうか。

この実験の最大の特徴は感情に伴う胃の働きや胃粘膜の状態を直接観察できたというところにあります。病人でもない普通の人の胃の中がどうなっているのかを直接目で見ることができた初めてのケースだったわけです。
その結果、感情と胃の働きとの間には非常に密接な関係があることが証明されたのです。
その後腸のレントゲン写真を撮りながら催眠などを利用して被験者に「はらわたが煮えくり返る思い」や「断腸の思い」などの感情を思い浮かばせることによって実際に腸が煮えくり返るように動いたり、正に腸が千切れるが如く収縮したりする様子が確かめられています。その他いろいろな実験や研究によって胃や腸に限らず感情と身体の働きには強い結びつきがあることが証明されています。

医学まめ知識から 岩本憲夫